2005年 09月 25日
ラ・フラ・デルス・バウスの『変身』 |
スペイン、カタルーニャのパフォーマンス集団、ラ・フラ・デルス・バウス(La Fura Dels Baus)の『変身』を見てきました。このラ・フラ・デルス・バウスのことは、まったく知らず、テレビのイベント情報で、このラ・フラ・デルス・バウスが、1992年のバルセロナ・オリンピックでは開会式の演出を手掛けたということを知って、即チケットを押さえたようなもんです。フランスのアルベール冬季オリンピックのセレモニーを演出したフィリップ・ドゥクフレの舞台も見て、楽しめたので、今回もどんな舞台か知らずにチケットを申し込みました。
既に発売してたのですが、まだ話題になっていなくて、ラ・フラ・デルス・バウスを検索しても今回の演目『変身』が、どんなパフォーマンスするのかわからない状態。イベントの主催のとこもまだほとんど情報が更新されていないくらいでしたから。ネットで購入することにして、イープラスとチケットぴあで座席確認すると、チケットぴあは前から3列目あたりなんだけれど、端の方。イープラスは、10列目くらいで中央に近い通路側というベストの座席が指定されたので、送料が少し高いがイープラスの方で申し込みました。あまり売れていないのかなと思ったけれど、会場に行ったら結構埋まっていたので、私が買ったときは、ただ、情報が出回っていなかっただけかな。愛知万博のスペインパビリオンのイベントの一環らしく、この公演も世界初ツアーらしいです。
今回の『変身』は、フランツ・カフカの小説『変身』をモチーフにした作品。私は、なんかの映画を見て、この『変身』の小説を買ったのですが、途中で読むのを止めてしまったという作品です。主人公がある朝、目覚めたら、大きな虫になっていたという有名な冒頭の話である。ラ・フラ・デルス・バウス版は、主人公が部屋に引き篭もってしまうというものになっている。
出てくる人は、4人家族のグレゴール、母、父、妹のグレーテ、そして友人の5人だけのシンプルな舞台。もちろんスペイン語の舞台なんで、セリフがわからないので、字幕を見ながらの鑑賞となります。今までのアート・パフォーマンスは言葉が極力少ないものだったので、今回もそういう感じの舞台だと思っていたのですが、そうじゃなくて、思ったよりセリフが多いので、結構字幕を見なきゃ付いていけなくなるので大変でした。
ストーリーは、まじめな青年グレゴールがある日突然部屋に引き篭もってしまうところから始まり、家族の戸惑いを描いていくのですが、彼の友人に部屋を貸すことから、青年グレゴールの存在が薄れて行き、誰も彼を必要としなくなり、最後には母親自ら、彼を殺してしまうというものでした。
カフカの小説の場合、主人公が大きな虫になってしまうということですが、こちらは引き篭もるという今問題となっている事例。まったく表現は違うようにみえるけれど、同じことなんですよね。今いる自分の世界と別の世界、主人公におきる疎外感なんかを表わしているとこなんて。今まで青年が中心であった家庭も、彼の存在が薄れていくことによって崩壊しつつあるんだけれど、実際そうでもない。新しい家庭”中心”が生まれることによって、主人公の存在意義だけがなくなっていくんです。そして、その新しい家庭に調和しないものを排除するという選択し、新しい家庭が生まれる。
なんか自分の存在意義とか価値を考えせられるなぁ。自分って一体なんなんだろう?とか?という大それたものじゃなくて、なんか自分がいなくなって困ることがあるのだろうか?仕事においてもね。今の仕事辞めても新しい自分の居場所なんかあるのかなという、たまに妙な疎外感も実際ある。そういう気持ちが積もり積もったら、グレゴールが選んだものになってしまうのかもしれない。息子を殺した後、今までのうっぷんを晴らすかのように、楽しそうな家族になってしまうのは、ちょっと、それはないよなと付いていけなかった感じ。
この舞台の特徴は、映像と舞台を上手く使っていることです。グレゴールが引き篭もる部屋を立方体の空間の透明の部屋として、観客に見せる。また、その部屋は移動可能な状態でいろんな方向から見れるようにしているのです。そして、その舞台にはスクリーンも使われて、例えば、基本的に舞台はグレゴール家なんですが、出来事がそのグレゴール家だけじゃないシーンをスクリーンで見せるわけです。引き篭もる前のグレゴールの行動なんかだけでなく、部屋での出来事なんかをスクリーンで観客から見にくいシーンを映し出すのです。このやり方シネテアトル『マルシエル』とよく似た方法です。映像から舞台へとか、舞台から映像へとかの流れもそんなに違和感感じません。
そうそう、途中にスクリーンで映像だけ流れているシーンを見ていたら、なんか映画のエンドロールみたいな文字がスクリーンに出てきて、本当の客席に座っている母、父、グレーテの3人(舞台が暗くなったけれども、彼らが私のすぐ近くに座ったので、立つ前から彼らがそこにいるのは知ってましたが、気が付かなかった人はいきなりだったので、驚いたと思います。)が席を立ち、まるで私たち観客かのように「なんかよくわからないものだったわね」と言いながら出て行くのは面白いアイデアだったなぁ。
それから、今まで舞台で泣くシーンなんかを見たことがなかった。妹のグレーテの顔が私が座っているところからもハッキリ見えるんだけれど、その場面もスクリーンでクローズアップされて、本当に泣いているんだって。当たり前じゃない、芝居なら役者は泣くよって思う人がいるかもしれませんが、私は芝居なのに泣けるというそのものを目の当たりできたことに感動してしまった。
あと、このラ・フラ・デルス・バウスの違う演目でも有名らしいのだけれど、露出が激しいものがあるらしい。このラ・フラ・デルス・バウスをネットで初めて検索した時、その演目が出てきて、この『変身』も凄いシーンがあるのかなと思ったら、ありました。時間的には、少しだけなんだけれど、グレゴールの父と母が息子から解放されつつある時に再び燃え上がるシーンです。父がズボンとパンツを脱いでお尻丸出しで母と絡むシーンです。舞台でこういうの見るの初めてなんで、このシーンを凝視したらいいの?って感じでした。特に父の腰使いを見ていると、これは笑っていいの?それとも感心したらいいのか?
La Fura Dels Bausの公式HP
『変身』の日本公演紹介のHP
既に発売してたのですが、まだ話題になっていなくて、ラ・フラ・デルス・バウスを検索しても今回の演目『変身』が、どんなパフォーマンスするのかわからない状態。イベントの主催のとこもまだほとんど情報が更新されていないくらいでしたから。ネットで購入することにして、イープラスとチケットぴあで座席確認すると、チケットぴあは前から3列目あたりなんだけれど、端の方。イープラスは、10列目くらいで中央に近い通路側というベストの座席が指定されたので、送料が少し高いがイープラスの方で申し込みました。あまり売れていないのかなと思ったけれど、会場に行ったら結構埋まっていたので、私が買ったときは、ただ、情報が出回っていなかっただけかな。愛知万博のスペインパビリオンのイベントの一環らしく、この公演も世界初ツアーらしいです。
今回の『変身』は、フランツ・カフカの小説『変身』をモチーフにした作品。私は、なんかの映画を見て、この『変身』の小説を買ったのですが、途中で読むのを止めてしまったという作品です。主人公がある朝、目覚めたら、大きな虫になっていたという有名な冒頭の話である。ラ・フラ・デルス・バウス版は、主人公が部屋に引き篭もってしまうというものになっている。
出てくる人は、4人家族のグレゴール、母、父、妹のグレーテ、そして友人の5人だけのシンプルな舞台。もちろんスペイン語の舞台なんで、セリフがわからないので、字幕を見ながらの鑑賞となります。今までのアート・パフォーマンスは言葉が極力少ないものだったので、今回もそういう感じの舞台だと思っていたのですが、そうじゃなくて、思ったよりセリフが多いので、結構字幕を見なきゃ付いていけなくなるので大変でした。
ストーリーは、まじめな青年グレゴールがある日突然部屋に引き篭もってしまうところから始まり、家族の戸惑いを描いていくのですが、彼の友人に部屋を貸すことから、青年グレゴールの存在が薄れて行き、誰も彼を必要としなくなり、最後には母親自ら、彼を殺してしまうというものでした。
カフカの小説の場合、主人公が大きな虫になってしまうということですが、こちらは引き篭もるという今問題となっている事例。まったく表現は違うようにみえるけれど、同じことなんですよね。今いる自分の世界と別の世界、主人公におきる疎外感なんかを表わしているとこなんて。今まで青年が中心であった家庭も、彼の存在が薄れていくことによって崩壊しつつあるんだけれど、実際そうでもない。新しい家庭”中心”が生まれることによって、主人公の存在意義だけがなくなっていくんです。そして、その新しい家庭に調和しないものを排除するという選択し、新しい家庭が生まれる。
なんか自分の存在意義とか価値を考えせられるなぁ。自分って一体なんなんだろう?とか?という大それたものじゃなくて、なんか自分がいなくなって困ることがあるのだろうか?仕事においてもね。今の仕事辞めても新しい自分の居場所なんかあるのかなという、たまに妙な疎外感も実際ある。そういう気持ちが積もり積もったら、グレゴールが選んだものになってしまうのかもしれない。息子を殺した後、今までのうっぷんを晴らすかのように、楽しそうな家族になってしまうのは、ちょっと、それはないよなと付いていけなかった感じ。
この舞台の特徴は、映像と舞台を上手く使っていることです。グレゴールが引き篭もる部屋を立方体の空間の透明の部屋として、観客に見せる。また、その部屋は移動可能な状態でいろんな方向から見れるようにしているのです。そして、その舞台にはスクリーンも使われて、例えば、基本的に舞台はグレゴール家なんですが、出来事がそのグレゴール家だけじゃないシーンをスクリーンで見せるわけです。引き篭もる前のグレゴールの行動なんかだけでなく、部屋での出来事なんかをスクリーンで観客から見にくいシーンを映し出すのです。このやり方シネテアトル『マルシエル』とよく似た方法です。映像から舞台へとか、舞台から映像へとかの流れもそんなに違和感感じません。
そうそう、途中にスクリーンで映像だけ流れているシーンを見ていたら、なんか映画のエンドロールみたいな文字がスクリーンに出てきて、本当の客席に座っている母、父、グレーテの3人(舞台が暗くなったけれども、彼らが私のすぐ近くに座ったので、立つ前から彼らがそこにいるのは知ってましたが、気が付かなかった人はいきなりだったので、驚いたと思います。)が席を立ち、まるで私たち観客かのように「なんかよくわからないものだったわね」と言いながら出て行くのは面白いアイデアだったなぁ。
それから、今まで舞台で泣くシーンなんかを見たことがなかった。妹のグレーテの顔が私が座っているところからもハッキリ見えるんだけれど、その場面もスクリーンでクローズアップされて、本当に泣いているんだって。当たり前じゃない、芝居なら役者は泣くよって思う人がいるかもしれませんが、私は芝居なのに泣けるというそのものを目の当たりできたことに感動してしまった。
あと、このラ・フラ・デルス・バウスの違う演目でも有名らしいのだけれど、露出が激しいものがあるらしい。このラ・フラ・デルス・バウスをネットで初めて検索した時、その演目が出てきて、この『変身』も凄いシーンがあるのかなと思ったら、ありました。時間的には、少しだけなんだけれど、グレゴールの父と母が息子から解放されつつある時に再び燃え上がるシーンです。父がズボンとパンツを脱いでお尻丸出しで母と絡むシーンです。舞台でこういうの見るの初めてなんで、このシーンを凝視したらいいの?って感じでした。特に父の腰使いを見ていると、これは笑っていいの?それとも感心したらいいのか?
La Fura Dels Bausの公式HP
『変身』の日本公演紹介のHP
by tandem-hachi
| 2005-09-25 22:54
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